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青春18切符の残りがあり遠出をする予定が、ぐずぐずとしていてできずに近場の未走路を走ることにしました。 跨るバイクは長く眠っていたランドナー(神田のアルプス社製クィックエース・スーパー)です。 ランドナーという種類の自転車は、大雑把には「旅」向きの自転車です。 少し調子が悪く、自分でチェーンを交換したりして、山登りを避けてきましたが久し振りの出動です。 9時過ぎに出発。西国街道を高槻に出て、高槻からr6を北上します。 r6は久し振りですが、高槻市北部の住宅街までがだらだらとしたのぼりです。行楽の車でしょうか交通量は多いです。 住宅街を過ぎると少し下りますが、その後はまただらだらとしたのぼりです。 このコースには、1ヶ所採石場があります。どこも一緒ですが砕石業者は道路を我が物と思っているのでしょうね。 足元の汚いダンプカーが出入りして、周辺の路面は土埃だらけです。 高槻市の森林観光センターの自販機前で始めての休憩です。ここまで約20Km、1時間強を要しています。 樫田のトンネルを抜けると亀岡の街に一気に下っていきます。 R9を横断して、亀岡駅前から保津峡の川下り乗り場近くの保津橋を渡り右折して山沿いの道を川沿いに走ります。 川には、川下りの屋形船やゴムボートで川を下る人、カヌーで遊ぶ人で賑やかです。 集落を過ぎると道は細くなり、請田神社の石の鳥居が見えてきます。 請田神社の横に[京都・府道401]の案内板?、松尾谷林道はもしかして「府道」? 帰宅後調べますと、京都府道401は亀岡市保津町宮ノ前(保津橋の北詰)から請田神社までの2Km弱の路線のようです。 いつかは松尾谷林道を鳥居本から越畑へのr50に繋いで府道に昇格させるつもりだったのでしょうか? 路面は林道に入るとすぐにダートになります。一部舗装もありましたが、落石が多く細いタイヤの人はパンクや転倒要注意路線です。 緩やかにアップダウンを繰り返しながら進んでいきます。 (地図と高低図はこちらにあります) 樫田辺りからぱらついていた雨が、夕立のように急に大粒になり杉木立の中で雨宿りをしました。 林道終点近くで大きくのぼり、r50との合流点への下っています。 r50の合流点は、写真のように通行止めの看板とバリケードがありました。 何台か車を見ましたが、亀岡方面から上がっているようです。 r50もよく通る道ですが、しばらく山道を走っていなかった身体にはこたえます。 息は上がるし、脚は重いしエッチラ、オッチラ水尾まで。 農協売店前の自販機で水分補給。 水尾からは神明峠(400m)、神明峠よりきつい樒ヶ原手前ののぼり(510m)とヘロヘロになって、越畑に到着です。 越畑の小学校(宕陰小学校)前の棚田に下りてみる。 越畑には何度もきていますが、棚田を間近に見るのは初めてです。 ほうずきを栽培した後の田んぼ、草だらけの田んぼ、黄色い花を植えた田んぼ、、、それぞれに耕作者の名前などが書かれた札(紙製)が掲げられています。 まだ、減反政策は行われていたのですね。 米を作っていない証にあの札を掲げておくと、補助金か奨励金が国から出るのです。 「米を作らない」ご褒美です。 若い働き手のいる農村でも、過疎の農村でも、先人が山肌を切り開いて作った美田でも、国は「米を作るな」といっています。 日本の食料自給率は28%(飼料も含む穀類)とだそうです。 「残日録」で取 り上げたいテーマです。 河原邸の前には中学生でしょうか男の子が写生をしています。私も写真を撮って、フレンドパークまつばらで蕎麦をいただくことにします。 13時30分頃の入店でしたが、すぐに座れてざる蕎麦をいただきました。(金890円也) 出汁が少し甘め、刻み葱が細かく切りすぎでいまいちでしたが、美味しくいただきました。 蕎麦湯もたっぷりと貰って、満腹満腹でした。 越畑に田舎暮らしをされている「越畑便り」のMさん宅を尋ねるが愛車がなくご不在の様子。 R477、r405を経由して、亀岡の街に戻ります。 亀岡の街を抜けるのに、いつもジグザクに進んでしまいますが、今回は保津川にかかる宇津根橋を渡り右岸を保津橋に出てサティの横からすんなりとR9にで ました。 老ノ坂トンネル手前で、写真のような扁額を見つけました。 亀岡側の文章は私にはまったく読めません。 ***************** 之 往 之 遠 ? 来 ? 通 ***************** 京都よりは「松風洞」でしょうか? 本日の走行距離:95Km 本日の最高標高:510m(樒ヶ原手前の鞍部) スナップ写真をアップしまた。こちらをご覧ください。 ◆ 老ノ坂トンネルの扁額のこと◆ 老ノ坂トンネルの車道トンネルと歩行者・自転車用トンネルの間の分離帯にある「扁額」について、京都国道事務所にその謂れなどを問い合わせておりました ら、このたび回答をいただきましたので紹介します。 ----京都国道事務所からのメール------------ ○○様 突然のメールで失礼いたします。 京都国道事務所ホームページ「ご意見ご要望」欄にお寄せいただいた国道9号老ノ坂トンネルの扁額についてですが、 第3代京都府知事 北垣国道の書によるもので 「遠邇之利往来之便」 「(この道ができたことにより)遠いところにも近いところにも利益をもたらし、往来の便がよくなった。」という意味だそうです。 現在の京都と丹波地方をつなぐ道は、琵琶湖疎水工事で有名な北垣知事が行った京都宮津間車道開墾工事がベースとなっています。 京都と亀岡の間の大枝峠(老の坂峠)の道はもともと狭く、物資の輸送に適さなかったことから、道幅のある道路を作るため、トンネルを作りました。 昭和27年には国道9号と認定され、今では京都と丹波・丹後へのメインロードとなっています。 明治14年から開墾された老の坂トンネルは「松風洞」と称され、19年頃完成したといわれています。 昭和8年にはその隣に「和風洞」と称されるトンネルが作られ、さらに昭和39年、交通量の増大から「松風洞」のあった場所を広げて現在の複線化したトン ネルが作られました、 以上は、亀岡市文化資料館に問い合わせて、いただいた回答です。 お問合せいただいてから、事務所内の資料をさがしてみたのですが、なかなか見当たらず、お返事するのに時間がかかってしまいました。 ご参考になれば幸いです。 長々と書いてしまい申し訳ありません。 今後とも国土交通行政にご理解とご支援を賜りますようよろしくお願いします。 国土交通省近畿地方整備局京都国道事務所 総務課 専門調査員 ○○ --------end---------------- ◆ありがとうございました。 色々とお手を煩わせたようです。ありがとうございました。 明治時代:松風洞 ↓ 大正時代:和風洞 ↓ 昭和時代:現在の複線トンネル と、長年かかって現在のトンネルが完成したのですね。 ◆扁額の文字 ----------- 之往之遠 便来利邇 ----------- だったのですね。パズルが解けた気分です。(遠邇之利往来之便) ◆北垣国道(きたがき・くにみち) 京都国道工事事務所から回答のメールをもらい「第3代京都府知事が北垣国道さんで、その方が・・・」とはできすぎた名前(国道:こくどう)だと思って、 Googleしてみますと「きたがわ・くにみち」さんでした。 1836(天保7)年に今の兵庫県養父市の庄屋の生まれ、北海道開拓使・熊本県大書記官、高知県令、第三代京都府知事を歴任された。 郷土の偉人なのです。 但馬信用金庫のWebサイト内に紹介のページがあります。 京都の戎川発電所の近くに琵琶湖疎水工事をたたえて北垣さんの銅像があるそうです。 (05/09/13)
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